私とものづくり
第8回産業論文コンクール 優良賞
ニッタ(株) 岡本 裕美さん
・モノづくりとの出会い
私がモノづくりをするきっかけになったのは高校の美術の授業であった。私は、直方体の木片に彫刻刀を入れ立体的なオブジェをつくるという課題を与えられていた。徐々に形ができていくことに喜びを感じ、休み時間も美術室に通い、夢中で彫り続けた。そうして完成した私の作品は、独創的な形と細部まで拘っているという理由で、学年の代表として写真保存されることになった。このときに大きな達成感を得た私は、オンリーワンのモノを作ることに遣り甲斐を感じるようになった。
私は、美大進学を考えたが、その道は感性が勝負の世界だ。恐らく自分より才能のある人間はたくさんいるだろう。そういう人たちに埋もれてしまうくらいなら、感性だけでなく、「努力で勝負をするモノづくり」ができる分野に進学しようと思った。オンリーワンのモノを作りたい・見つけたいという強い思いで、私は理学部化学科への進学を決意した。
・モノづくりの追求
大学時代での研究は、兎に角新しい反応を見つけることだけを目標に何度も何度も実験を繰り返した。しかし、世界中の化学者たちが昔から同じように研究している分野であり、新しい反応を見つけることは大変だった。
「新しい反応を発見するなんて、私にはできないのではないか。」
何度もそう思った。どれだけ頑張っても、ずっと同じ場所で足踏みしているだけで、一歩も前に進めない。じゃあ、こんなに頑張って努力する必要なんてあるのか。絶望にくれた私に、ある教授はこんな言葉をかけてくれた。
「この分野はやってみないと分からないからね。紙の上ではできたことも、実際に実験してみたらうまくいかないものだ。発見が1回目で見つかるかもしれないし、1000回目で見つかるかもしれない。でも、実験しないと見つからないでしょ?だから、実験をしなさい。失敗から得ることはたくさんある。」
その言葉を信じ、必死に実験を続けた結果、修士論文の発表3か月前に、なんとか新しい反応を発見することができたのだ。それまで何度も挫けそうになったが、その度に周りに支えられ、教授の言葉を思い出した。
残り3カ月、普通ではあり得ないくらい遅いスタートで、すべきことが山積みだったが、どれだけ忙しくても、自分が発見した反応を突き詰めていくことは心の底から楽しいと思えた。
・会社でのモノづくり
「君がいなかったらこの商品は生まれなかったよ。」
そう言われるような社員になると決意して、私は当社に入社した。大学での研究と企業での開発は、同じテーマであっても進め方が違うことは理解しているつもりだった。つまり、企業では客先があるのでコストや期限が重要であるということ。正直、それが全てだと思っていた。
当社では、各現場・部署を一年かけて研修する。製造現場で実際にラインに入り、一作業員として作業させてもらえる現場もあった。私は、そこで働く方に言われたある言葉によって、企業でのモノづくりの在り方を気づかされた。それは「作りやすいものを開発してほしい。」ということだった。
私自身も、製造現場での研修を通して、作るまでの工程が多かったり、複雑だったり、難しかったりするものは大変だということを、身を持って体験した。同じような商品であっても作りやすいモノは時間短縮にもなり、人件費も縮小され、利益率の向上・製品価格の低下による市場獲得にもつながる可能性がある。それこそが企業にとって本当に価値のある製品だということがわかった。
それまでの私の中でのモノづくりとは、前例のない100パーセントオリジナルなものを作ることであったが、どれだけ斬新で目新しいものでも、作りにくいものでは商品として成り立たないのだ。私にとってこの一年の研修はモノづくりの本質を知ることができて、本当に有意義なものだった。
1年間の研修を経て、今年の4月に今のグループに配属された。配属先は期待通り化学系の開発ができる部署だった。配属されて5カ月、まだ基本的なことを覚えて、言われたことを間違えないようにすることに必死な日々だが、①高校生のときに知ったモノづくりの楽しさ、②大学で学んだ、諦めずに努力をしつづけることの大切さ、③一年研修で学んだモノづくりの本質、これらをいつも心に留め、本当に価値のある「オンリーワンのモノづくり」を目指していきたいと思う。