コモディティな社会
第8回産業論文コンクール 優良賞
小山(株) 星加 恭弥さん
現在、あらゆる業界で商品のコモディティ化が進んでいるといわれている。また、商品に限らず、労働市場の人材の評価までもがコモディティ化しているといわれている。コモディティとは何か、定義した上で、自分自身がコモディティ化した人材だと、評価されないためにはどうするべきなのか、以下で述べる。
コモディティ(commodity)とは、英語で石鹸や歯ブラシなどの「日用品」を指すときによく使われる言葉だが、経済学の世界では少し違う意味で使われる。市場に出回っている商品が、個性を失ってしまい、消費者にとってはどのメーカーのどの商品を買っても大差がない状態を「コモディティ化」と言う。経済学の定義によれば、コモディティとは「スペックが明確に定義できるもの」のことを指す。材質、重さ、大きさ、数量など数値や言葉ではっきりと定義できるものは、全てコモディティである。つまり、「個性のないものは全てコモディティ」なのである。どんなに優れた商品でも、スペックが明確に定義できて、同じ商品を売る複数の供給者がいれば、それはコモディティになる。
コモディティ市場でどのように商品の値段が決まるかは、資本主義市場のルールに従う。
商品が需要に対して不足しているときは値上がりし、余っていれば値下がりするのが基本ルールとなる。コモディティ化した市場は、恒常的に商品が余っている状態にあるので、そこでの商品の値段は、供給側の利益がゼロになるまで下がる。それが、ゼロになるということは、価格競争を続けた末に、売っても売っても儲からないという状態に追い込まれてしまうことである。
これまでは、商品のコモディティ化について述べてきたが、コモディティ化が進んでいるのは商品に限ったことではない。ここ最近では、労働市場における人材の評価においても、コモディティ化も進んでいるといわれている。
人材のコモディティ化とはどういうことか。
それは、例えば採用条件が博士課程の人を募集するのであれば「博士」というスペックで、もしくはある資格を持っている者というスペックで募集をかける。すると、そこに集まった人はみな同じ価値しかない。また、業務マニュアルが存在し、その通りに仕事ができる人であれば誰でも良いという仕事であれば、経営者側にとっての関心は、給料をどれだけ安くできるかという考え方になってしまう。こうして、人材のコモディティ化が進んできた。
しかし、このことは本当に人材がコモディティ化していると言えるのだろうか。確かに採用する企業側によってある一定の条件を満たしている者を採用するといった方法は、それがテストの点数であったり、資格の有無であったりするとすると、スペックが明確であるといったコモディティ化の定義には当てはまる。しかし、決められた条件の中に集まった人の中でも、性格や考え方など個性にかなりの違いがあると考える。このことを考えると、安易に人材がコモディティ化しているとはいえないのではないか。
コモディティ化しているといわれる原因はマニュアル化され、その通りにすれば誰でもできるといった労働環境が存在する事も一つの原因だと考える。そこでは、いくらテストの点数が良かったり、資格を取得していたりしたとしても、コモディティ化している可能性が高いといえる。
それでは、どうしたらコモディティ化することを避ける事ができるのか。それは、スペシャリティ(specialty)になることである。スペシャリティとは、専門性、特殊性、特色などを意味する英単語だが、要するに「他の人には代えられない、唯一の人物」「ほかの物では代替することができない、唯一の物」のことである。概念としてコモディティの正反対である。ここでいうスペシャリティとは、資格を持っていたり、人より勉強したりする事ではない。他の人にはない自分にしかできないことを身につけることである。あらゆる業種、商品、働き方においてスペシャリティは存在する。しかし、スペシャリティはけっして永続的なものではない。時間の経過に伴い必ず価値が減じていき、コモディティとなる。スペシャリティに必要なのは、これまでの枠組みの中で努力するのではなく、常に斬新なものに目を向けなければならないと考える。
私自身が、コモディティ化しないためにも、新入社員としてどのような行動をしなければならないか。今の仕事をしっかり理解することが必要である。そして、できる仕事をどんどん身につけていかなければならない。そして、業界全体のことも理解し、商品の知識など、身につけまずは戦力になることだと考える。そこから、自分にしかできないといわれることを身につけ、コモディティ化しないような人材にならなければならないと考える。
参考文献
瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」講談社 2011年