ホーム > 産業論文コンクール > 過去の入賞論文 > 第7回産業論文コンクール(平成23年度) > 「拙速」という考え方

「拙速」という考え方

第7回産業論文コンクール 最優秀賞
住江織物(株)奈良事業所 杉野 和義さん

「拙速(せっそく)は巧遅(こうち)に勝る」というのは孫子の言葉として有名な言である。

私は研修期間が終わって日も浅いうちに、上司から「拙速という考え方を以て仕事に臨んでほしい」と告げられた。直近の三年間を大学・大学院の研究室で過ごしてきた私としては、学校と企業の違いをハッキリと感じた瞬間であった。研究機関においては正確さ、確実さが優先事項であり、一つ一つの懸念を着実に潰していくのが定石であると考えていた。企業にしたところで研究・開発に携わるのであれば、その考え方は変わらないであろうと考えていた。拙速を、”拙(つたな)いやり方でも速く仕事をこなす事”という意味にとった私は、これまでの慎重な研究の進め方からの転換についていけるかどうかが心配になった。そこで私は”拙速”という言葉を自分のものにするため、孫子について調べ、そこで自分の勘違いに気がついた。

孫子は、国を統治するために道(道徳)・天(天の利)・地(地の利)・将(優れた将)・法(優れた法)という五事を用い、この五事の実践度合いを他国と比較することで相手の国力を量り、戦争に勝てるかどうかの判断基準としていた。また、「勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いてしかる後に勝ちを求む」といった記述からもわかるように、平素からの周到な用意・準備があってこそ戦いに勝利できるというものである。これらの事を知った段階で、「拙速は巧遅に勝る」という言葉の意味を取り違えていたのではないかという疑問が生じた。周到な準備を信条とする人が、拙いやり方を推奨するというのは無理があると感じたからだ。ではどこに間違いがあったか。答えは”拙速”という言葉の意味の取り方であった。

一般的に巧拙とは、物事の上手と下手を表す言葉である。しかしながら、孫子の用いた言葉の中で”拙”と”巧”は目的の達成度合いを表わしていて、物事の上手・下手を比較しているのではなかったのである。そして、その目的達成の手段というのが戦であったため、孫子の言葉の中で”巧”とは相手を完膚なきまでに叩きのめした勝利、”拙”とは完全ではないものの、本来の目的を達成している状態を指している。つまりこの言葉の真意としては、「長く戦をして完全勝利(巧遅)を求めるよりも、目的の戦果をあげて速やかに戦を終結させる方(拙速)が良い」というものだと考えられる。現時点での達成度合いを踏まえ、更なる成果を追求することの利害を天秤にかける、という考え方を表わしているともいえる。この考え方は、老子の「足るを知る」に通じる部分もあると思われる。つまり「拙速という考え方を以て仕事に臨んでほしい」とは、単に仕事の速度のみを追求するということではなく、できるだけ早くに要求性能を持つ製品を形にすることを望まれている事なのだということが理解できた。

確かに、研究室生活においても学会発表などの期日が存在し、”巧”すなわち完全な結果を求めきれない場合もあった。企業活動においてはその期日が納期という形になり、また産業活動がゆえに相手方との利害が生じるため、研究機関の場合よりも”遅”と判断されるタイミングが早くなっていることに気をつけなければならない。さらに研究室生活とは違い、産業活動の場合は要求される性能があらかじめ設定されているか、もしくは相手方の判断となるため、その点においても妥協が入り込む余地はない。更に、要求性能自体が非常に厳しい場合を除き、単に要求される性能を持たせるだけでは他社との競争に勝つことはできない。したがって、どれだけ要求よりも良い性能を持たせることができるか、ということが重要になってくる。

私も勘違いをしていたように、”拙速”という言葉は世間で曲解されており、孫子の用いた本来の意味では捉えられていないのが現状であろうと思う。確かに、今の世の中「拙いやり方でも速く仕事をこなす事」でイニシアチブをとれる、ということは間違いない事実であると思う。孟子の言にはこのような意味で捉えられるものもある。しかし、当然拙いやり方では成果に穴が多く存在するはずであり、一時的にはその成果でしのげたとしても後々苦しくなることも間違いないであろう。成果として客先に提出した後で問題点が発覚し、随時その問題に対応していくというのは提出した側の責務であるが、提出側の義務としては成果として提出する段階で、相手方に要求されている項目とその裏に存在するであろう問題点を見抜いて事前にクリアしておくことになると思う。顧客との間に納期が存在する以上、将来的に発生する問題すべてを洗い出してクリアしておく事、つまり”巧”はできないかもしれない。しかし、でき得る限りその状態に近づけること、要求されている性能よりも少しでも良い性能を求めることに手を抜いてはいけない。

私はこれまで、”遅”でもよいから”巧”を求めたいと思って生きてきた。だが、学生から社会人へと立場が変わり、企業活動すなわち産業活動の中に身を置く段になり、この考え方に少々の修正を加える必要があることを理解した。きっかけとなる言葉をかけてくださった上司に感謝するとともに、競争に勝つために必要な性能を見極め、納期を念頭において仕事に臨む、孫子の言う正当な意味での”拙速”をわきまえた社会人として、産業活動に携わっていきたい。

このページの先頭へ