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現場主義

第6回産業論文コンクール 努力賞
住江織物(株)奈良事業所 石井 宏明さん

「奈良事業所 製造部 加工課 ○○係勤務を命ずる」これは今から約15年前、入社後1ヶ月間の研修を終えて命じられた私にとって社会人最初の辞令である。当時東洋一と言われたカーペットの生産工場と研究開発部門が共存する、歴史のある都、奈良に位置する奈良事業所へ配属された事に希望と喜びを感じる一方で、生産現場で働く事に対する少しの不安と不満があった事を今でも思い出す。しかし、この辞令が私の技術者としての考え方に大きく影響を与え、「現場主義」が仕事を進めていく上での自分の考え方に根付き、これからの日本の技術に必要な事であると考えるきっかけになろうとはこの時は知る由もなかった。

学生時代、ビーカーやフラスコを持ち、例えば、AとBからCを作る(合成する)といった実験(研究)を繰り返していた自分にとって、ものを作ると言う事は、その時に経験したような難しい事ではなく、(加工)条件さえ決めてあげれば(決まっていれば)、後は勝手に機械が作ってくれる単純なものと思っていた。実際、研修期間中に生産現場を見学した時に、機械がどんどんものを作っている所も目の当たりにしていた。そのような生産現場で自分のような機械について何も知らない人間が役に立つのかといった不安やもっと他に力を発揮できる仕事があるのではといった不満を感じたのはその頃の私には当然の事だったかもしれない。
しかし、配属後実際に仕事を始めるとそのような思いを感じている時間は全くなく、また、ものづくりは考えていた程単純なものではなかった。とにかく失敗の連続だった。加工条件は製品毎にそれぞれ決まっており、その通りにしているのにうまくいかない。製品の構成されている材料それぞれに性質(癖)があるうえ、設計や規格によってそれらが重なり合って加工に影響されてくる。要するに絶妙な製造ノウハウがあったのだ。学生時代に経験した実験とは大きく違い、数字では表すことが出来ない製造ノウハウは、頭で考えているだけでは身に付かない。失敗の度に周りの先輩方や関係者に迷惑を掛けたが、先輩方はそんな役立たずの私をフォローし、製造ノウハウを伝授してくれました。不安や不満の気持ちが、何とか役に立ちたい、そして技術を身につけたいという前向きな気持ちに変わる事で無知な自分が成長していけたと今思っています。また、生産現場では単にものを作る事だけでなく、常にコストや品質、環境等への影響を考えておかなくてはならず、覚えなければならない事が多くありました。当時の現場には今で言うところの「ものづくり」に必要である重要な要素が凝縮されていたと考えています。現場でものをつくるには、一人では出来ないし、頭で考えているだけでも出来ない。周りの関係する人たちの協力が必要であるし、実際に目で見て肌で感じる事も必要だ。現象の考察力とコミュニケーション力それに前向きな気持ちが大切なのです。日本の技術は、今までこのような力を発揮する事で発展してきたと私は考えています。今の現場にはそういった力が少し希薄になってきているのではないのでしょうか? この時の経験が私の考え方に影響を大きく与え、「現場主義」の原点となりました。

少し話が少し逸れるかもしれませんが、日本の技術であるノウハウには大きく二通りあると私は考えています。一つ目は生産現場での製造ノウハウ、二つ目は開発における論理的思考に基づく設計ノウハウです。この二つのノウハウ(技術)が軽視されると、日本は今後、加速するグローバル市場で生き残っていけないのではと考えています。少し前からテレビやニュースで日本の技術が国内外、特に中国等へ流出しているといった事を見聞きします。理由は色々あると報じられていますが、日本の生命線である技術が流出すると、同じ技術や単純な生産では他国とのコスト競争力に劣る日本には分が悪くなる。その解決策として、生産拠点、中には開発拠点の海外移転が日本の企業でも積極的に進められていますが、やはり日本の技術を日本で付加価値を高め、コスト競争力のある商品を日本でつくっていく事が雇用の創出という面も含めて必要なのではと考えています。

話は変わって、入社後4年と少し経った時の事でした。現場で様々な事を経験していく事で製造ノウハウが身についてきた時、研究開発部門への辞令を受けました。 研究開発部門では、前述した二つ目のノウハウである設計ノウハウが重要となります。ここでも現場で培った「現場主義」の考え方は変わりませんでした。研究開発は最初、色々な情報と知識から開発の方向性を頭で練り、テーブルサイズのラボスケールで試験を行い、実証と検討を重ねていきます。論理的思考に基づく設計ノウハウの論理的思考の部分です。ここでの検討に「現場主義」が活かされる。ラボスケールの段階から現象を実際に目で見て肌で感じる事が必要なのである。必ずといって良い程ラボスケールでの検討は失敗の繰り返しであり、ラボスケールで良い結果が出たとしてもスケールUPするとまた違った現象が出てくる。数字だけで判断できない部分があり、それらの事は実際に目で見て肌で感じて現象を理解する事が大切なのである。また、大きなスケールでの試験は生産本機を使用したり協力工場で行ったりする事があるので、多くの人を巻き込む事になる。テーブル試験のように自分一人で出来るようなことではないのである。このような事は、「現場主義」の考え方であり、現場(実際の現象)での考察力とコミュニケーション力がここでも必要となってくるのです。
開発の業務に10年以上も携わると若い部下を持つようになり、人材育成も要求されるようになってきます。今の若い人はスマートに仕事をこなそうとし、実験データの羅列だけで結果と方向性を決めていこうとする人が多いように感じます。もちろん実験データは大切ですが、「現場主義」の考え方でいくとそれに加え現象を目で見て肌で感じておくことがさらに大切と思います。
例えば、ある材料の燃焼試験を行った時、結果が合格か不合格か、何cm燃えたのかといったことも大切ですが、その材料がどのようにして、どんな状態で燃えたのかを実際に目で見て現象を把握しておく事も大切です。そうする事により、想定している事と違った現象が出た時に対処できる術を多く持つことになり、それらが積み重なり設計ノウハウになっていくのだと思います。

ある時、試験機が故障したので修理しようと思い、若い子に「スパナ持ってきて。」とお願いしたら「スパナって何ですか?」という返事が返ってきました。私としては驚愕したのですが、別にスパナが何であるのかを知らなくても開発は出来るし、ものも作れると思います。 少し例えが悪いですが、自分の常識が他人の常識でない事はよくあるということで、他人とコミュニケーションを取っていく上では、自分の得意でない分野の情報にもアンテナを張って、色んなことを吸収し、コミュニケーションで起こるズレを出来るだけ無くす様にしていく事も必要であるのではと認識した出来事でした。

もう一つ、開発での「現場主義」に大学との協働研究や工業技術センター等の公的機関を利用することも考え方としてあると考えています。大学といえば、「現場主義」とは大きくかけ離れたものと考えがちですが、今、実際には非常に近い存在になってきています。今の大学や工業技術センターには設備が充実しています。リーマンショック以降、企業は試験機や設備に投資する事に消極的になっています。そこで、大学との協働研究や公的機関の設備を利用する事で、自社では出来なかった実験を目で見て肌で感じる事が出来ますし、先生方と接点を持たせていただく事で知見や人脈が広がり、コミュニケーション力も養う事が出来ます。実際、部下の育成も兼ねて奈良県工業技術センター殿にはものづくりオープンラボ等を通して非常にお世話になっています。そしてそれらを通じて培った技術やノウハウが発展し、現在では産産の協働開発にも繋がって企業間への広がりを見せてきています。これからの日本の技術を育てていく為にはこのような手法も有効なのではと感じています。

今後、日本の技術を日本に残してグローバル市場での生き残りをかけていく為には、製造ノウハウと設計ノウハウの二つのノウハウの重要性を感じることが必要であり、そのために有効な手段である「現場主義」で現場力を高めて二つのノウハウ=日本の技術を育てていくことが重要と考えています。

「奈良事業所 製造部 加工課 勤務を命ずる」先日、約12年振りに生産現場に戻って勤務する辞令を受けました。入社後15年と半年間で培ってきた二つのノウハウとその重要性を若い人たちと一緒に、当時から見ると少し希薄になっていると感じられる「現場主義」で世界に通用する技術を培い、日本の産業を牽引するひとつに育てたい。

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