モノづくりに携わる人達
第5回産業論文コンクール 優秀賞
シバタ製針(株) 金井 成人さん
モノづくりの世界に目を転じると「企業が変った 」のは今や常識です。かつての大量生産、大量販売方式をバックアップしてきた大手企業が明らかになくなり、「企業」は「群れ」になり「群れ」はさらに夫々独自のモノの利便性や経済的な、つまり実用的な価値だけを求める「個」に変化している。
今日人々も物質的な豊かさに溺れ、そのモノの価値を見失う。以前はモノを育てたり、作ったりする苦労や技を見る目を持っていたがそれが見えなくなった。自分で額に汗して働くよりは、他人に作らせてそれを安く買う方法を考えようとする。産業の二重構造を巧に利用して、中小企業が作ったモノを大企業が売る。そんな日本の社会の底辺で働く事が生きる事、生きる事が働く事と私は思い、共感してくれる人がどこかにいると信じて今の会社に入った。
事業内容は主にメリヤス用編立針と付属品の製造販売だ。従業員数55名で 大きく三つの部署に分けられ、私は仕上工程を担当する製造第三課に配属された。課長と助手のYさんの二人で作業が行なわれ沢山の機械が稼動していた。針を磨きにかけて、艶出しされた針を1000本単位で黒い板に揃えてその針を専用の機械に入れて合わせる。そして針の歪や傷を検査する。入社第一の私の仕事は課長に付いて機械の修理や二人の雑用に追われていたが、そのうち工場の人達の気心も知れ仕事の流れも呑み込めるようになった。
私が最初に驚いたのはそこに指示されている寸法が1/100mm単位の数字だという事です。課長が何の抵抗もなく調子を付けている針は、なんと細かな精度を求められていたのだ。私はそれを知って怯んだ。自分の不器用さを知っている私にはいくら訓練しても不可能に違いない。私はとんでもない世界に飛びこんでしまったと思いました。私がそんな思いをしていると課長が声をかけてくれた。1/100mmを教えて上げると云って、今抜いた私の髪の毛と自分の髪の毛を右手と左手に1本づつ持たせ、それを親指と人さし指に挟んで軽くよじってどちらが太いかと聞いた。私の方が太いような気がすると答えると、今度はマイクロメーターで測定してみるように云われ測定すると差は1/100mmしかない。1/100mmなんてそんなものだと技術を優しい言葉で教えてくれた。
ある時出荷不能針を見つけた。どこの部署が原因で発生したか分らないが、他の部署の失敗まで俺たちに拭かせやがった。課長の一言は私には強く堪える。仕事上課長は各部署の人達とコミュニケーションを取っている。そして一人一人親身になって相談を聞いていたから余計に腹を立てたのだろう。その時私はどんなに立派な考えを口にすることができても仕事で信頼されなかったら通じない。信頼は一瞬で崩れるがそれを取り戻すのは時間がかかると悟った。
仕事を任されるようになった時、日頃声を荒げる事のないYさんが血相を変えて私を怒鳴りつけた。「黙っていればいい気になってこの寸法はなんなの。検査する私の身になってよ。いちいちビクビクしながら機械を合わせている。次の検査をする人が少しでも負担が軽くなるように心がけてやって。ファージーで合わすのはとんだ心得違いと云うものよ」私はびっくりしてその言葉で背筋がピンとなった。
そして新入社員が入って来て辞めて行く。人間関係、仕事の内容等マイナス面を語っているが、私はそんな事を聞くたびに仕事が面白くないなら仕事を続けて自分で面白くするべきだ。そうすれば必ずもっと良い仕事、難しい仕事に挑戦して更にもっといい機械(新しい機械)を使いたいと云う向上心が生まれる。
仕事の本当の楽しさは苦労の先にしかないと云いたくなる。
旋盤工のTさんと出会った。とても律儀な人で他の人達が時間内に工場長の目を盗んで雑談に興じるような時でも、一人コツコツ働き通しているが仲間達の事を告げ口する訳でもない。だから、彼を嫌う者はいないがその勤勉さから新入社員には敬遠された。ある時私は、製品の納期に追われて帰るのが遅くなった時Tさんに会った。彼は全社員が門を出るまでいつも残っていて、戸締りや火の点検をして最後に出て行く。その日は珍しく少し説教口調で私に言った。「働くというのは傍らを楽させると云う事なんだよ。これを肝に銘じておくことだな。お前が働けばその分お袋さんが楽になる。私なんて女房と子供の外に年寄りもいるんだ。これだけの傍らを楽させようってんだからね。働くってのは辛いものさ。」私は、彼が働く事を傍楽として毎日の苦しみから逃れる知恵を現場での労働を通して獲得していると思った。それまではずっと心のどこかで職場の人を見下していた。何が楽しくて朝から晩まで無表情に機械と睨めっこしているのか分らない人達。陰では不満なのに工場長の前だと無言の人達。せめてそういう彼等の代弁者になってやろうとそんな思い上がりがずっと心のどこかにあった。
しかし、これらの人達と出会って私の彼等を見る目は全く違うものとなった。
そんな時、ある先輩と話す機会があった。「仕事を面白くさせるような教え方が出来ないんだね。面白くないって思われたら、私はもうどうも声をかけてやりようがない。」その時辞めた新入社員を思い出した。教える側も彼等をダメにするような使い方をしていないか考えるべきだと思った。知らなくてはいけない作業の変化を教えないで、教わった通りにやれば会社の教え方になっていては作業に魅力は生まれない。賃金だけ上げても進歩が無い。経済性とは別の当り前のものであって、より良いものを作ろうとする姿勢、情熱、達成感が一番大事だと思う。新人達の心の空洞化が怖くなり後悔した。
それからの私は課長に技術を必死に教わり、きつい事も我慢出来た。課長の云う事は適格で云い返す事が出来なかったからだ。最近は課長の云われる事が少し理解出来るようになった。次のような言葉である。
(1)道具になれ、装置になるな。
(2)メモする事は自分の人生の財産になる。
(3)知らなかったと云う事は罪である。
優れた製品を作るには、すべての現場の人間が一つに力を合わせて仕事をしなければならない。
(1)の「道具は使いよう」と云うように、工夫をすれば思いがけない使いようがある。装置は変更不能です。云われた事だけをするのでは無く、工夫して作業をしろと私は(1)の意味を捕えています。これはほんの一部にすぎないがこれからも課長について行きたい。そして自分の可能性を信じて頑張りたいです。