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ヴァーチャルからリアルへ

第3回産業論文コンクール 優良賞
シバタ製針(株) 西田 千琴さん

注文主、品番、数量、その他の受注情報をコンピュータに入力し、確定ボタンを押して受注完了。この繰り返しが以前の勤め先での私の仕事だった。毎日送られてくる注文書をただそのまま入力し、工場へ出荷指示を出す。注文の指示はしても、実際に工場での作業を見たことはなかった。私のすぐ近くでは営業事務の人たちが「納期をもう少し縮めることは出来ないか」、「締め切り時間は過ぎてしまったが、もう一件追加で出荷できないか」などと工場と電話で頻繁にやりとりを行なっていた。だが私にとって受注した数量が1個でも100個でも、数量の部分を「1」と入力するか「100」と入力するかだけの違いに過ぎない。また希望納期をコンピュータで入力して実行キーを押すと、瞬く間に納期の回答が出てくる。在庫があれば希望通りの納期が表示される。欠品であれば生産指示が自動的に送られると共に納期予定が表示される。データ入力が仕事であった私にとって、コンピュータ画面に表示されるヴァーチャルな世界だけがすべてであり、リアルな世界で人々が工場で商品を生産し、倉庫に収められ、発送され、そして取引先に届けられるというしごく当たり前の事を微塵も想像することはなかった。個数や納期の変更、品番の訂正や注文のキャンセルもコンピュータのキーを叩けば簡単なことだった。商品も単にアルファベットと数字の組み合わされた記号に過ぎず、ソリッドな「モノ」であることすら忘れていた。毎日仕事をする中で大切なことは注文書どおり正確に入力をし、ミスなくいかに数多くの伝票を短時間で処理するかだけだった。

受注入力の仕事を退職してから約8ヶ月後に今の職場に就職した。私の仕事はメリヤス針の歪みを取る機械にかけるためにバラバラの針を板に整列させて並べることや、完成して検査を終えた針を100本ずつ数えて袋に梱包する仕事である。もちろん前の職場とは扱っている商品も全く違うが、なにより大きく変わったのは、今までコンピュータを通して指示を出していた側から、実際にものづくりに携わる人々の一員へと変わったことである。1本のメリヤス針を作るために、たくさんの工程でたくさんの人が携わっているものづくりの現場。その中に今、私もいる。
私のすぐ近くでは営業担当者がお客様と電話でやりとりをしている。会話の内容は、前職の営業事務の人たちのそれと驚くほど似通っている。「もっと納期を早めて欲しい」、「10000本必要だが、在庫が不足しているなら、とにかく何本でもいいからあるだけすぐに送って欲しい」などなど。前に職場ではなにも考えずにただ聞き流していただけの会話が、自分がものづくりに携わるようになって、始めてリアリティを持つようになっていった。前職の入力業務なら在庫があろうがなかろうが、注文書どおりの数量を入力すればよいだけだった。それが実際にお客様の求める数量と納期を実現するには、いかに多くの人々の努力と工夫が必要か、初めて理解出来るようになった。コンピュータのヴァーチャルな画面を眺めているだけでは決して分からなかったことだ。

工場ではたくさんの工程でたくさんの人が働き、材料から製品が形作られていく。コンピュータの中では、生産のリードタイムは常に一定である。生産開始日を設定すればデータベースから工数と稼働日を読み取り、納期が計算される。ところが現実の生産現場では日々さまざまなトラブルが起り得る。原材料の納期遅れ、部品や工具の欠品、機械の故障、また作業者がけがや病気で急に休むことも考えられる。予定通りに行かないこともあるというよりは、むしろ予定通りに行くと考える方がおかしいとも言える。そんな状況の中でたくさんの現場の人たちが知恵を出し合い、なんとかお客様の要望に合わせようと毎日努力を重ねている。コンピュータのヴァーチャルな世界しか知らなかった私にとって、それは本当に新鮮な驚きだった。ものづくりに携わるようになって、たった一つの製品をお客さまに届けることがどれだけ大変かが始めてわかった。現代ではITが全盛である。しかしコンピュータで処理できるのは、形式知だけだ。ものづくりはもちろん形式知も必要だが、現場の個々の作業者、あるいは職場全体で共有する暗黙知が不可欠だ。トラブルに対処し、工程を改善し、技術を高めて行く。それらは個人・集団・組織の中で暗黙知と形式知の間で相互に絶え間なく変換・移転することによって新たな知識が創造される。私は今までコンピュータとの間で形式知だけを共有して来た。それそのものは単なるドキュメントやマニュアルを通じて憶えたものに過ぎない。これを真の意味で知として個人が身に付けるには、実践や体験を通じた身体知化、内面化が不可欠である。ものづくりのリアルな現場で今、私はそれを学んでいる。

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