問題発見能力について
第2回産業論文コンクール 努力賞
共同精版印刷(株) 藤岡 亮介さん
私が共同精版印刷に入社して1年と半年が過ぎました。本当にあっという間に時間が過ぎて行きましたがいろいろなことを学びました。今回の論文では、私が入社してから仕事をしていく上で大事だと痛感する問題発見能力についてまとめます。
入社して一年と半年が過ぎ、私が最も痛感していることは、自己主張は問題発見能力の妨げになり、成長の妨げにしかならないということです。私は成長の段階において、一度現実の前に自分の自我主張がまったく無力である事を知り、すっかり考えを改めない限り本質的な成長は無いのではないかと考えるようになりました。なぜなら、そのときに向き合うべきは目の前の現実(仕事やトラブル)なのに、自分がどう考えるかとかどう感じるかとかそんなことにとらわれていては新しい視点で物事を見ることや、人のアドバイスを素直に聞くといった行動に繋がるわけがありません。
次に私が痛感することは、問題発見能力を高めて行く為には、仕事をするうえで自分のやりたいように時間をコントロールしようとすることは不可能だということです。例えば要領よく仕事をやるとかいったことです。なぜなら、私のような若年者が仕事を要領よく使用にも、経験がないので方法がわからず、手を抜くなどの行動に繋がるばかりだからです。積極的に自分の仕事に責任を持ち、コントロールをしようとすると時間を惜しまず仕事について考えることが絶対に必要だと感じています。
例えば工場などの作業ではむしろ積極的に時間コントロールをしなければなりません。それは主に作業を機械による自動化で行なっているからであり、チームワークで仕事を進めるためだからです。しかし、営業や経営者ともなるとそうはいかないと考えます。なぜなら、目の前にある問題が毎回違うからであり、解決にかかる時間も毎回違うからです。毎回違う問題に取り組んでいるのだから、その解決までの労力を逆算など出来ません。そういった意味で、本当に仕事をコントロールしようと思えば時間を自分の思いのままに動かすなど出来るはずがありません。時間をコントロールできる状況とは、依然とまったく同じ、あるいは良く似た状況に対処するときのみです。つまり、経験を積み重ねない限り無理です。
そうした考え方で、自分なりに仕事に遣り残しの無いように動いていけば問題発見能力は、いくらでも開発されるはずです。もちろん高度な能力ともなれば時間がかかりますが小さくとも成長を積み重ねることは確実に出来るはずです。営業の仕事で例えれば、仕事とは依頼者や現場への橋渡しであると言えると考えます。多くの場合、依頼者からの要望は多種多様で、そのまま受けていては自分たちの処理能力から外れている場合が多々あります。要望を入れる段階で、まず工場の設備や業界の常識に沿った、自分たちに処理できる形までは話を持っていかなければなりません。次に依頼が決まればその内容を現場に伝えます。このときも、現場が受け入れやすいように伝えなければちょっとした仕様が違ってしまうこともあります。そうなれば、当然不具合のある製品や結果を依頼者に渡すことになります。これでは言われたこと以下のことしか出来ていないことになります。そうしたことから、なぜこのような連絡ミスが起こったのか考えるようになります。そして不具合をどうにかしようと方法を考えます。現場に直接不具合の原因を聞いて改めることや、指示内容を指図書にして細かく記述するというほうほうもあります。
色々試して見て、リアクションが帰ってくれば次の改善点が見えてきます。そうして、改善の余地は次から次へ、手にかけている問題が困難なほど出てくるはずです。もちろん改善が結果に繋がるまでには何度もあまり効果の無い改善も積み重ねる必要があります。しかし、そうして経験を積み重ねることでしか問題発見能力を的を得たものにしていくことが出来ません。それに、イレギュラーや細かい条件などを組織、業界内でマニュアル化するほうが無理があるのですから、自分が動いたほうがずっと効率的です。
このことの見方を変えると、営業の仕事とはコミュニケーションであるともいえると思います。的を得たパスが出来るように常に考えて、細かくパス回しをすることが出来れば、効率、品質ともに高い仕事が出来るようになるはずです。肝心なのは今受け取ったパスを誰にどのようにどれだけ早く出すか、いかに上手にパスを受け取れるようになるかということなのだと考えます。
入社1年半の未熟な時だからこそ思います。目に見えない効率という言葉に惑わされてはいけないと。効果的な手段というものは目の前の仕事にもがき苦しむ努力の末に体得していくものであり、得体の知れない言葉としてもっていても自分が楽をすることぐらいにしか頭が回りません。自分が未熟である現実をわきまえることが大切です。若輩者である自分がまったく通用しないことが世の中にはいくらでもあるという事。そのことが身にしみて分からなければ自分の固定観念から目が覚めません。もし、目が覚めなければ、自分が気づいてないだけで社会の入り口にも立てていないのだと危機感を持つべきだと考えています。