時間の価値について
第16回産業論文コンクール 努力賞
株式会社ヒラノテクシード 山田智也 氏
時間の価値について
社会人になり、仕事中の自分とそれ以外のときの自分を切り離して考えることがある。今まで当たり前のようにあった自身の時間が大幅に減り、「何をするか」より「何ができるか」という意識で時間について考える機会が増えた。入社した今年の春から初めて一人暮らしを始め、家事にかける時間が生じたことや帰宅後の時間が学生の頃に比べて遅くなったことなどにより、自由に使える時間が格段に減ったことを実感している。
時間が限られたものであるとの意識から、まず仕事以外で時間では何ができるか考えた。その結果、自己投資のために自分の知見を広げるなどといった行動をとる時間、もしくは趣味などその人自身が好んで過ごす時間と、大きく分けてこの2種類の使い方に分類することができると思われる。どちらにその限られた時間を使う価値があるかを考えた結果、それぞれ価値の見出し方が異なることに気づいた。端的に自己投資というと、その人が将来的に何らかの場面で役に立つと考えた上で行動し、自身の成長によって直接的に利益に繋がるものであると思われる。近年の話で例えると、NISA やiDeCoなどについて調べて将来の貯蓄を増やそうと図ることなどがまさに自己投資の時間と言えるであろう。これに対して趣味に使う時間とは、直接的な利益がなくともその人自身が感じる価値によって、それに費やした時間の価値が他人と異なるため、一概に決まるものではない。
私は休日1人でゆっくりする過ごし方も、友人らと過ごす時間も好きであり、他の人がその時間にいくらお金を稼いでいようともその時間を充実して過ごしていたのであれば後悔することはないと考えている。逆に客観的に見れば、私とは別の使い方をすべきであると捉える人も、極端な場合は意味のない無駄な時間と考える人もいるであろう。このようにプライベートの時間というものは、その価値を1つのものさしで計ることが難しく、個人個人の中でその行動とそれに使う時間を天秤にかけて釣り合うものであるかどうかが、その時間を後々意味づける要因の1つとなると思われる。
一方で、仕事中は時間の使い方も価値づける基準も全く異なる。当然のことながら仕事の時間というものは自分一人の時間ではなく、他の方と共有している時間であり、周囲の方々から時間を頂きながら仕事をしている。そのため、使い方を自己都合で決定できる訳ではなく、その共有する時間を互いに生み出す必要が生じる。その時間の価値というものはその場にいる人、もしくはより広い目で見るとステークホルダー全員に共通する価値となり、プライベートの時間に比べて非常に多くの人が関わることとなる。
しかし、仕事の時間の価値そのものは「利益÷時間=価値」と端的に表すことができるのではないかと考えられる。新入社員である私達が、特に設計職であるため、すぐ直接的に「利益」を出すことは困難であるが、間接的に会社に貢献することで「時間」の効率化を図ることは可能である。例えば、私は今までに先輩社員の方々が教えて下さった内容をメモをとり記録していたが、現在その内容を自身以外にも共有することが出来るように文書ファイルにまとめている。自分の復習が主な目的ではあるが、電子データ化することで来年以降の新入社員にも資料として活用することが可能である。会社が教育に費やす時間を効率化し、その結果、仕事の時間の価値を向上させることに繋がると考えられる。
ここまで、社会人となってからの自身の体験より、仕事とそれ以外の時間とを切り離して比較し、それぞれその価値を決定づけるものは何かを考えてきたが、どちらも上限が定まっている限られたものであると強く感じた。この限られた時間を充実させる、または効率化させるためにコストをかけるという行為が社会人になった今、共通したコスト意識であると認識している。学生の頃は移動費用などを抑えるために長い時間をかけて移動するなど、「時間を使う」ことに対してコストを支払っているという意識を感じる場面は少なかった。しかし、時間の有限性を実感した今ではコストを支払ってでも時間を作り、その差分を有用に使いたいと考えるようになった。読書や勉学で知見を得るもよし、ただ遊ぶだけにしても「今しかできないこと」も数多く存在する。これから生きていくうえで、それらの時間を生み出すためにかけたコストを、どれだけ価値ある時間に変換することができるかを考えて行動し続けることが私にできる社会人としての一歩目であると考えている。