無知の知を知る
14回産業論文コンクール 努力賞
株式会社ヒラノテクシード 岡本和也 氏
無知の知を知る
学生の頃に哲学の授業でソクラテスが言った「無知の知」と言う言葉を知った。意味としては、「自分がまだ無知であることを自覚できていない、まだ知らないのに知っているような勘違いをしている」よりは、「同じ知らないでも、自分が知らないと自覚している分だけ、優れている」といった内容になる。
新入社員の時は右も左も分からず分からないことだらけであったが、入社してから3年がたった今だと分かる事が多くなってきた。
仕事をこなす上で入社当時より要領が良くなり業務を進めているように感じてきた。しかしある時自分が良かれと思って行動したことが失敗に終わってしまったことがあった。その時の経験から無知の知と言う言葉を思いだし今一度考えてみようと思った。
今の業務は購買課に所属し、自社製品の部品を購入している。とある部分に使用するワッシャがあったが購入数量が多く安価に抑えることが出来ればコストダウンにつながるのではないかと考え、通常製作をお願いしている業者ではなく別の業者に安価に出来ないかと話を持ちかけた。その結果通常より安価な見積もりになり購入することになった。しかし納入された製品を見たところ既存の製品と大きく異なる結果になってしまった。慌てて使用することが出来るか設計部等に確認をしたが使用することが出来ず失敗に終わってしまった。
この失敗には2つの無知があった。まず一点目はワッシャの製作には2種類の方法があり、丸棒からセンバン加工を行い削りだす方法とプレス機を用いて抜く方法がある。この加工の方法の違いで製品に大きな影響が出てくる。業者と打ち合わせを行っていた段階では寸法の公差と絵だけでの話ししか行っておらず実物を見たりしていなかった。ネットのカタログに載っているスペックのみで会話をしており、そこまでの違いが出るとは思ってもいなかった。この時までに色々代替品等コストダウンを行ってきたのでたいした確認も行わずに話を進めてしまった。通常購入している物はセンバン加工の物で、新規で購入した物はプレス加工の物であった。
もう一点はそのワッシャが使われている部分にあった。そのワッシャが使われている部分は自社製品の中でも特に精度を求められる部分を支えるワッシャであり、アール部分があると接地面積が減り、固定する能力が下がり結果的に精度への影響が大きくなってしまうことだ。ワッシャの金額で言えば数十円~数百円であり他の高価なものより重視しておらずどういった場所に使用されるかも確認をしてなかった。まさに「自分がまだ無知であることを自覚できていない、まだ知らないのに知っているような勘違いをしている」だった。
ソクラテスが言った無知の知は様々な解釈や使い方、論法であったりする。今現在様々な論を唱えていることもありとても深い言葉でる事には間違いない。上記の経験をするまでは私は最初に書いたことを思っていた。しかしながら最初に書いた物は単に無知の知といった言葉の意味であり本質ではないと考える。私なりに考える無知の知の本質とは無知を知る積極的な試みが大切であると考える。
私は3年間の経験を経て、仕事を理解し入社当時より知識をつけた。過去の経験から勉強したことを活かし変化をつけるようにしてきたつもりであったが上記のような失敗をしてしまった。これの最大の原因は過去に同じような事を行ったことに習い、今回もその方法でいいだろうという経験則から陥る失敗である。すなわち知ることをやめてしまったのだ。知っている(経験している)からそこで思考を止めてルーチン化した行動を取ってしまった。その結果知ろうとする努力を怠り、知らなかった部分に落とし穴があった。無知を知ろうと行動を取っていればどこかの時点で違いに気付き変化をもたらすことが出来たのではないかと考える。
これからの仕事に対する姿勢として無知の知を頭に入れて行動していきたい。自分は無知である事を理解し知を得るための積極的な試みをどんどんしていこうと考えている。物事を進めていく中でまたこれか、やったことあるがある等、ルーチン化していることに潜む無知を探求し、また変わった知を得て業務。向上のアイデアを生み出して生きたいと思う。