「断らない」方がいい
第13回産業論文コンクール 優良賞
大和信用金庫 岡本詩歩 氏
【断る】とは、相手の申し出に対し拒絶する、また辞退するという意である。近年、仕事の効率を上げるため、また自分自身のキャパオーバーを防ぐために「断る力」の重要性を謳う人や書籍が増えている。確かに、断ればその依頼された仕事をするはずだった時間が空く、または様々なリスクを負わなくて済むというメリットがあるだろう。しかしそれは言い換えれば、自分自身が働きやすい環境を作り、その瞬間だけが楽になる方を選んでいると言える。
そもそも私がそういった断る力の重要性について書かれている書籍などが目に付いたキッカケは、私自身が「断る」側の人間になりかけていたからだ。社会人1年目で入庫してから半年も経っていない頃に、私が普段すると決まっている日常業務すら終えていない場面で、先輩職員から「貴方がしたことのなさそうな処理なので、一度してみる?」と、頂いた仕事があった。その仕事は1年目の私には複雑で、間違えると訂正が効かないようなものであったため、不安に感じたもののそのまま引き受けた。しかし結局先輩に聞くタイミングを逃してしまい、それほど大きな処理とすら判断できておらず、自分の分かる範囲で処理をしてしまったため、案の定ミスをしてしまい役席の方にまで迷惑をかけてしまう結果になった。挙句、その訂正処理に追われ、日常業務の方も終えられずにほかの先輩にして頂くことになってしまった。その時私は、一度経験したミスに対する恐怖感と、日常業務すらできていないのに引き受けるべきではなかったという後悔から、「断れば良かった」と考えてしまった。それ以来徐々に私は、難しそうな仕事は後回しにし、自分から新しく学ぶことをさけて過ごすようになってしまった。これが「断る」側の人間になるキッカケであった。
しかし数ヵ月後、いよいよ自分の仕事に対する知識の無さを自ずと痛感する場面が出てくるようになり、「自分はこのままでいいのか、どうなっていきたいのか。」と自問するようになった。ちょうどその頃上司が私の仕事ぶりを気にかけて下さったことがあったので、これから自分はどうなっていくのか不安に感じていた私は、上司に「どういう部下を持ちたいですか?」と単刀直入に質問した。すると「何にでもチャレンジをする部下だね。失敗はしてもいい、誰もが通る道だから。場数を踏まないと社会人は成長しないし成功もしないと思う。」と、まさにいま自分がなりかけている側の人間と正反対の人間像の返答が来た。確かに、断り続けていればチャレンジする機会も無く、場数を踏むことすらできない。その当時のままの考えで働いている数年後の自分を想像したとき、私は自分の知っている仕事だけをして、新しいことを自主的に学ぼうとしない人間になっているのではないかと、成長していない自分の姿が見えて不安になった。また、あのミスをした仕事は普段先輩がされているものであったため、今思えば先輩が処理する方がはるかに早く終わり、なおかつ失敗するリスクは少なかった。しかしそれを敢えて私にさせてくださったあの機会を「断ればよかった」と考えてしまった挙句、失敗したことを学びのチャンスと捉えることもせず、自分自身で自信をなくさせていると気づいた。またある統計では、断ることが苦手な人が48%もいるというデータを見かけた。それを見て、私は逆に52%の人は新しい仕事を受け入れることに拒否感を覚えずに、私が断って自分の仕事だけをしているあいだにもどんどん成長している、まさに上司が仰っていた人間像であるのか、と危機感を覚えた。
それ以来、私は小さな頼まれごとから重要な業務まで携わるように意識した。すると、断らずにどんどん受け入れて吸収することを意識していくうちに、全く今まで関わっていなかった種類の業務にも携わらせていただくようになり、先輩も更にたくさんのことを教えてくださるようになった。また意外な仕事や依頼を受けたりすることで、不思議と自分の知らない自分が居ることを発見したり、もともと知っていた内容と新たに知った内容が繋がったり、と自分が成長できていると実感できる場面が幾つかあり、その度にやりがいがあった。仕事の場面で、成長をできている喜びを感じられることはこれだけ充実感のあるものなのだと再確認することもできた。これは仕事以外にも必要なことで、社会人として必要なスキルを磨くためにも意識する必要がある。
ミスをする可能性があるなら最初からやらない方がいい、自分の出来る範囲のことだけをしたほうが組織全体の効率は良い、そのような考えはあくまでも断るための理由に過ぎない。成長意欲があるならば、自分自身の可能性を広げるためにその場面で少ししんどいかもしれない、と思う方を選んで仕事をすべきである。まだまだ仕事に対する知識は浅く、経験値の低い私を一番成長させるためにも、これからも私は「断らない」人間で居たいと思う。