人の力を引き出すこと
第12回産業論文コンクール 優良賞
田村薬品工業株式会社 嶋岡由理 氏
昨今は、スマートフォンひとつあれば娯楽や毎日の買い物ができ、施設の案内は愛らしく丁寧なロボットがする時代である。誰もがいつか訪れるであろうと考えていながら、それでも想像することのできなかった、電子の時代。仕事の形態なども日々変化を見せ、中でも業種にかかわらず、多くの事柄がデジタル化されつつあるのは皆さんも周知の通りだ。
最近では、当社のような製造業における工場でもどこも機械化が進み、コスト削減と品質汚染のリスク管理等の観点から見ても、人員は減らされていく傾向にある。時間あたりの仕事量を計算でき、事故や労災のリスクも減る。髪の毛や唾液による汚染の可能性もなければ、うっかり忘れていた等という人為的ミスも発生しない。多くの場所において機械により仕事は成り立つ。投資できる資本さえあれば、逆に機械化を進めない理由があるのかと聞かれる方が回答に難い。
しかしながら、工場等に人は要らないのかというと、勿論そんなことにはならない。今日も工場では沢山の人が製造ラインで働くのだ。
それどころか当社のような製造業の間には、「品質は人」という言葉が存在するくらいである。
機械が作業の大半を行う場合においてもこの言葉は真であると思う。機械がスムーズに動くよう油を差すのは人であるし、毎日同じ働きができるよう細かく調節していくのも当然ながら人だからである。ある日突然求められた種類の異なる働きに機械を合わせるのも人であり、不測の事態に陥った場合や機械が苦手な部分は人が補うことで上手く回転できる。
また逆に人が作業の多くを担う場合については、もしかしたらこの言葉は当然のように思うかもしれない。しかし表面上の意味以上にこの言葉を真であると私は感じる。大半は流れ作業を行うだけのように見えても、その作業一つ一つに集中できるか。見逃していないか。厳格に作業を行い続け、その中でもし問題を見付けた際は、それを品質異常に繋がらないように対応できるか。それぞれのポイントにおいて細かく、しかし確実にその一つ一つの作業が品質にかかわる。
どちらの場合においても結局のところは、「仕事」すなわち品質・製造そのものは人の力に委ねられる。
それは個人の能力も勿論関係するが、私は多くはその人のコンディション、加えてその環境によると考える。人の体調、気持ちが、判断が行動がその製品の品質にそのまま表れる。それはすなわち、その人が疲れていたら体調不良であれば心が重ければ、品質を担保することは非常に難しくなるということ。つまり、その人の力を最大限に発揮できるようにすることが、仕事のために、品質を守るために必要なことなのだ。
加えて、人の教育を行うのもやはり人であることを忘れてはいけない。初めて携わる仕事に関し、わからないのは当たり前。そのわからないことを予め理解し不安なく仕事に臨んでもらえるよう説明することと、それでも当然出てくるわからないことを「その都度」聞けるかどうか。もしくは相談できるか、一緒に考えて進めるかどうか。
そして最後に、その人ひとりひとりのコンディション。これが保たれるようでなければ、人は最大限の力を発揮することはないであろう。人同士が尊敬しながらも笑顔でいられる、そんな環境に調整することが、人の力を引き出すことに繋がると考える。誰だって笑顔で時間を過ごしたく、怒る等つらいことは出来るだけ避けたい。だからこそ環境面を整え、本来ひとりひとりが持つ素直な気持ちで、仕事に臨むことができるようにしていくことが重要であると思う。
最大限に力を発揮できる環境の中、コンディションのよい人員が、最大限に力を発揮するために必要な人数そろっていること。その中で更なる品質向上を考え、健康な人員が製造する。これがよいモノづくりに一番の近道であると考える。
そこを調整できるのは、きっとそれこそ人しかいない。機械にはできない。環境を整えるのも、整えようとすることができるのも結局は人なのである。
口で言うほどに簡単なことではないであろう。また上記のそれぞれを少しずつ削減することによって得られるものも大きいのも確かであることも理解できる。
しかし一人ひとりが最大限の力を発揮できる、そんな人がたくさん集まり、みんなで目的を共有できれば。それが大きな目標であったとしても、一人では達成することは到底できないことも、達成することができる。それは、人ひとりひとりそして企業自体の本当の願いであり共通の夢であると、私は考える。
なんでも機械化の進む現代においてはやや軽視されがちであるからこそ、人の力を発揮できた企業は、機械も上手く使用し大きな目標を達成可能であると思う。そしてそれは必ず、企業の発展通じ日本産業の発展につながるだろう。