全ては仕事への「理解」から
第10回産業論文コンクール優秀賞
小山株式会社 中西瑶子 さん
私は一般職採用として、4月から社会人生活をスタートした。配属先は営業企画課という部署で私にとって初耳の部署であった。しかし、私は一般職ということもあり、どういった部署であれ、部署内のサポートが基本で与えられたことをこなすことが大切であると思っていた。
ある日、議事録の作成を任された。議事録とは会議の内容をまとめたもので、会議に関わる人がその会議で何が決まったのか、次回の会議までに何をすべきなのかなどを確認できる為の資料として重要な役割を持つものである。まだまだ会社のこともわかっていない新入社員の私が書くことができるのだろうかと不安を抱えながら会議に出席した。案の定わからない単語や、話の流れが見えず、上手く書くことができなかった。書きあげても訂正ばかりで「ちゃんと会議の内容を聞いていたのか」と上司からお叱りを受けた。その後はわからないことは質問する、または自分で調べることで徐々に解消することができ、会議の内容を理解しながら議事録を作成することができるようになっていった。私は少しずつだが議事録の作成に対して自信を持てるようになった。
ある会議の議事録を作成し上司に提出すると、上司は書いている内容についての質問ではなく、私に「議事録は何の為に書いているかわかっているか」と質問を投げかけた。質問を投げかけられた私は明確な答えを出すことができなかった。私は議事録を作成することばかりに気をとられ、議事録は何故必要なのかという根本的な意味に対して少しも考えていなかったのである。上司から、議事録とは会議に出席していなかった人でも理解ができることが大切であること、中立的な立場で作成し、自分の意見を絶対に織り交ぜないこと、何がこの会議で決定したかを明確にすること、こういった点が重要であるとご指導をいただいた。私はこのご指導をいただいてから以前の自分はただ会議で話された内容をまとめることしか考えていなかったのだと気付かされた。それからは会議でただメモを取るのではなく、決定したこと、今後検討が必要なことに注意してメモを取るようにした。議事録の作成の際にはこの文章で誰もが理解してもらえるかということを念頭に文章を書くようにした。ただまとめるという考え方から読む人のことや会議で大切なことを意識し、議事録に求められている事を理解して作成するようになったのである。
この時私は指示があってただ仕事をこなせば良いという入社当時の考え方では甘いのだと痛感した。
議事録作成の仕事をきっかけに他の仕事に対しても変化があった。私は定期的に行われる会議の資料を準備する仕事を任せられた。以前の私であるならば、ただ渡された資料をコピーして準備するということだけで終わっていたが、私はこの仕事にはどういった意味があるのかを考えるようになった。資料は会議の中の出席者が同じ資料を見ることで、共通の認識を持つことができる。また、資料と併せて口頭で説明することで、視覚と聴覚の両方に訴えかけることができ、理解度の高さに違いが出る。会議を行う上で資料は必要不可欠なものであることがわかる。ただ人数分をコピーして揃えるという作業内容を見れば難しくないかもしれないが、仕事として見ると会議を円滑に進める上で重要であることが理解できる。理解した上でもう一度この仕事を見てみると、全く違うものに見えるのであった。
また、仕事への理解を深めることで、より良く仕事を行おうとする姿勢も持つようになった。資料をただ用意するだけではなく、資料を読む人の見やすさを考えるようになり、資料によって色の濃さを変え、印刷方法の設定を行った。小さなことだが、資料を準備する役目を担っているという責任感から、最善を尽くそうという意識を持つようになった。仕事の意味を理解することは、仕事に対する姿勢の変化を生み出した。入社前のただ仕事をこなすとしか考えていなかった私では議事録や資料を目にする人への配慮など気付くことができなかったと思う。
確かに、新入社員に任される仕事は他の社員の方々に比べて小さな仕事かもしれない。責任も対して重くないものかもしれない。しかし、どんなに小さな仕事でもそこには意味があり、その仕事が滞るとどこかに問題を生じてしまう。小さな仕事にも責任感を持てなければ、いつか自分が重要な仕事を任されたとしても全うすることができないと思う。私が入社して学んだ「自分の担当している仕事を理解する」ことを日々心がければ、どんな仕事に対しても最善を尽くしていくことができ、どんなに小さな仕事でも自分の成長の糧にすることができる。
そうして仕事に向かい続けることが会社への貢献に繋がっていくのだと私は思う。