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成長について考える

第1回産業論文コンクール 優良賞
共同精版印刷(株) 藤岡 亮介さん

はじめに―成長への興味
私は今年入社したばかりの新入社員です。
そのこともあって、私は成長するためにはどういったことが必要なのかということに強い興味を持っています。
よく成長に必要なものは集中力であるとか、やる気と根気だといったことを教わりましたが、それだけで本当に成長が出来るのだろうかと常々思っていました。部活動などでも同じ練習メニューをこなしていても実力には個人差が出ます。一生懸命練習しても実力が伸びずレギュラーになれない人もいます。こうしたことを才能の有無だけで説明しても良いものなのかという疑問があったのです。
この論文では成長とは何かを改めて考え直し、その為にはどういったことが大切なのかといったことを整理してみました。

1成長とは何かを考える
成長とはどのようなプロセスを言うのでしょうか。成長の過程を示す教えとして昔から「守」「破」「離」の教えがあります。「守」とは、先生から型を学び、その限定された動きから技術を学ぶ段階。「破」とは、「守」の段階で学んだことを基に、さまざまなテーマに挑み、少しずつ限定されない状況に対応する応用力を身につけてゆく段階。「離」は長い間の経験から自分の個性に対する理解が深まり、新しい自分独自のスタイルを築く段階のことです。経験の未熟な私には、この教訓について自分の考えを述べることしか出来ませんが、成長とはそれぞれの分野の共通理解を学ぶことから基本を身につけ、外の世界に出ることで柔軟になっていき、それらを整理して自分にあった方法を掴み、確立していくものだと捉えられていると考えます。
しかし、これだけでは何がどうなることが成長といえるのかがよく分かりません。

2成長に必要なもの
成長には、よく経験を積むことが大切であるといわれます。しかし、私はただ経験を積むことだけでは成長には不十分なのではないかと考えています。例えば、私は学校では英語を中学校から高校を卒業するまでの6年間勉強しましたが、まったく話せるようにはなりませんでした。しかし、歴史は別に集中して勉強しなくても頭に入っていました。1週間の授業時間は明らかに英語のほうが多かったはずなのですが、このような差が生じるのは何が原因なのでしょうか。何か成長する上で必要な条件があり、その偏りがこうした差につながったと考えたほうが自然ではないでしょうか。
初心者がある状況を経験し、苦労して克服したときの状態と、それからしばらく時間を置いて同じような状況に出会ったとき、今度は苦も無くできたというときの状態では明らかに違います。しかし、同じような状況に会いながら以前同様苦労して、かかった時間のみが短縮されたといった程度の場合もあります。人が見れば、前者は成長したと認めるでしょうが、後者を成長したとはみなさないでしょう。後者も同じように、経験からその状況に慣れているのですが、作業の手際の悪さで同じような成果しか出せずにいるのです。
いったいこの二者の違いは何でしょうか。私自身を振り返り考えると、ただ慣れたというときは状況を整理しきれていない状態であると思います。その為、以前の経験から失敗の解決策はすぐ思い浮かぶのですが、失敗する前に気づく、もしくは失敗しないように段取りをするといったことが出来ません。その為、以前と同様の苦労をすることになるのです。それに対して、苦も無く出来たとき、私の作業に対する意識は以前とは違います。このとき、こう段取りをすればスムーズに作業できるということが初めから分かっています。その為、苦労したポイントでも同じ失敗をするということがありません。こうしたことから考えると、成長するには、ただ経験を積むことだけでは不十分で、なぜ出来ないのかを考え、整理し、理解する必要があること。そして、困難なポイントを克服できる方法を考え、作業工程を組み替える必要があること。ここまでの工程を経てはじめて成長したと言えるということが分かります。
何かを習うと必ず言われる教訓に、「繰り返し練習することが必要だ」というものがあります。しかし同時に、「同じことをただ繰り返すのでは意味が無い」ということも言われます。この違いについて、やる気とか集中力といったものを挙げて説明されることが多いのではないでしょうか。しかし、初めに述べたように、やる気や集中力があれば成長がはかどるのかというとそうではありません。
それらは行動力を生むためには必要ですが、行動力は成長にとっての前提条件に過ぎません。本当に必要なことは体験の中から問題点を見つけ出し、それを克服できるスタイルを作り出すことだと考えます。これは、先に述べた「守」「破」「離」の教えにも共通する考え方だと思います。

3問題意識を持つことについて
このように考えると、成長とはある分野で多くの問題点に気づき、自分のあり方を変えることだと理解できます。
では、私たちはどういったときに問題意識を持つのでしょうか。まず考えられることは、失敗することです。失敗することによって二度と失敗を繰り返さないための問題意識が芽生えます。
次に、怒られるということがあります。よく、あまり怒ると教育上良くないと言われますが、それは子供を萎縮させることだけをもって怒ると捉えているからです。子供は怒られなければ何が悪いのかわからず、自然に分かるという考え方は妄想に過ぎないと思います。何故なら、子供にはまだ自分以外の視点で物事を判断したり、物事を深く考えることが出来ないからです。そうしたことを踏まえ、怒る側に必要な態度とはどういったものでしょうか。それは、怒った上で何故そのことが悪いことなのかを納得させることだと思います。多くの場合、納得させることに時間を用いず、子供が萎縮している態度だけで反省していると判断するので、子供は同じことを繰り返すことになります。子供に限らず、自分が納得し、自分で自分の考え方を組み替えない限り、同じことを繰り返すという事実は誰もが体験上理解されることだと思います。特に、習慣や癖はそんなに簡単に変えられるものではありません。
組み替える作業は怒られる側の作業であり、本人の自覚にかかっています。その自覚とは本人はうまくやったつもりでも、高いレベルの人から見ると失敗だらけということを認める態度のことです。自分の未熟さと視野の狭さを明確に自覚している人は、問題意識を持っており成長する人材だといえます。高い実力を持つ人ほど謙虚で素直な人が多いということはこうしたことからだと思います。「初心忘るべからず」という言葉がありますが、こうした言葉も単に謙虚になれという意味ではなく、常に問題意識を持てという教訓であると私は考えます。

4自己実現を目指すために必要なもの
これまで、成長するためにはただ経験を積むだけでなく、問題意識を持ち、より多くの問題点から自分のあり方を組み替えていくことが必要であると考えてきました。しかし、これまでに述べたことは、失敗することから考えることや、怒られたことから考えるといった「待ち」「受身」の姿勢についてでした。経験をただ待っていたのでは自分の理想像に近づくことは出来ません。
船に乗って東京に行きたいのに波の状態がいいからと博多に航路を取れば、博多についてしまうのと同じことです。目先のことばかりしか視野に入っていないとこうしたことに陥ってしまいます。そして、これまでに述べてきたように、自分のあり方を変えていくには問題意識が必要ですから、目標は夢のようなものではなく、具体的で、今の自分には実現できないことが明確に自覚されるものである必要があります。こうした目的意識が無い人には、自分のあり方を変えようとまで考える必要性が無いので、結局博多に言ったほうがその人にとって自然なのです。どうすれば実現できるかと全力で考えるほど強烈で、明確な目的意識が自己実現には必要です。そして、その目的意識もまた現在の自分の問題点を自覚することから生まれます。言い換えれば、今の自分と理想の自分とのギャップが問題意識を高め、成長する必要性を自らに自覚させるのだと私は考えています。

おわりに―自分を見つめ直す
現代は物の時代が終わり、優秀な人材が求められる人の時代であるといわれます。しかし、反面優秀な人材を育てられるような余裕のある団体はほとんど無いといわれています。そうした現代だからこそ、私たちには自分を見つめ直すことが切実に求められていると思います。
簡単に自分の行動を組み替えるほどの反省をすることは出来ません。どうしても、人の行動は簡単な方向に流れてしまいます。そのため目標を持つことが必要になります。目標は迷ったときの羅針盤であり、苦しいときに挫けないための原動力ともなるのです。そのような目的意識の無い人にとっては飛躍的な成長は必要ないので、結局どこかで行き詰ってしまうことになります。
この論文を書くことは目標をはっきりさせ、問題意識を高めて自分を正すこと。そのことを忘れずに経験を積み重ねることが大切だということを改めて確認するよい機会となりました。ありがとうございました。

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