日本の今後のモノづくりについて
第1回産業論文コンクール 努力賞
光洋サーモシステム(株) 橋本 和親さん
これからのモノづくりにおいて、新たに台頭する作り手たちがいる。それはユーザーという私達自身に他ならない。これから作られる多くの製品は、確実に生活者の志向に基づいた市場サイドがその進化を決め、受容する時代がやってくる。その際、自覚しておかなければならないことは、消費者・生活者の志向が確実に多義化・多様化してくるだろうという事実である。
このことを自動車の例に考えてみたい。10年ほど前、折しもアウトドアブームに呼応しながら三菱自動車の四輪駆動車「パジェロ」などの車両が、市場からの高い支持を受けた。バブル崩壊後は、長引く景気低迷の影響もあり、トヨタ自動車のスモールカー「ヴィッツ」や本田技研工業のスモールカー「フィット」が爆発的に売れ、市場からの高い支持を受けている。あるいは次世代の燃料電池車の量産が始まると、多様化傾向にさらなる拍車がかかることが予想される。
21世紀には、同系車種でマスセールスが可能な自動車市場は存在しないのだろうか。ここですぐに想像できるのが、マスボリュームである団塊世代の高齢者を見越した加齢者対応のクルマ市場「エイジングカー」のデザイン開発である。言う までもなく高齢者は、運動能力・判断能力ともに低下し、それを支援・補助する為の安全システムの搭載やユニバーサルデザインに基づくパッケージングといった共通仕様対応が不可欠となる。こうしたマス層に対するスタンダードデザインの確立は、次世代に巨大な市場性を持つ可能性は大いにある。
しかし、ここで問題となるのは、この団塊世代が元気な老人になるだろうということである。ここでいう「元気」とは体力としての元気だけではなく、志向性・価値意識・バイタリティの元気さでもある。人生の後半戦を迎えた老人達が、ワンスタンダードのエイジングカーを受け入れるとはとても思えない。
これまでのように、セダンをステップアップし、最後は「セルシオ・ベンツ」といったハイステータスなジェントルカーで上がり、という構図の崩壊は、図らずもセルシオを最上級車として供給するトヨタ自動車がヴィッツの登場で明確に示すこととなった。上がり一歩手前の高所得のジェントルマン達が、セルシオを買わずにヴィッツを選択するという現実をはっきりと浮き彫りにさせたからである。個々人の行為目的に対する心地よさや合理性を判断材料に、クルマを購買する消費者が確実に台頭してきているということである。
こうしたトレンドが指し示す事実は、これからのクルマづくりが、「コンシューマードリブン」を意識せざるを得なくなるだろうという現実である。すなわち、デザイナー遊びのクルマづくりからユーザーと遊んでしまうクルマづくりへの移行が、市場サイドから求められているということである。
しかし、今それと対峙するかのように、今や「世界の工場」と言われる中国から安い賃金と豊富な労働力を武器に、大量生産された製品が輸入されている。今までこれらは、低コスト低品質がお約束となっていたが、日本を含めた外資系企業の進出により、きっちりとした指導のもと、着実に技術を身に付けており、低コスト高品質を実現する日もそう遠くはない。そうなるとラインで大量生産する商品以外に、消費者・ユーザーが希望する付加価値を付けた商品を作ることが可能となり、今後多様化していくであろう市場でも十分通用でき、日本のモノづくりの現場は窮地に追い込まれはずである。
さらに言えば、日本は少子高齢化が急速に進行し、かつ団塊世代が大量に定年となる2007年問題も重なり後継者への技術の伝承がうまくできていない。対策として定年延長や製造のロボット化・I T化、アウトソーシングや外国人労働者の受け入れなどを検討している。ただこれは短・中期的な「対症療法」であり、今後多元化していくであろう市場に全く対応できなくなってしまう。
日本が戦後の復興期から「経済大国ニッポン」「モノづくり大国ニッポン」と呼ばれるまでに発展したのは、安価で高品質な製品づくりに他ならない。厳しいコストダウンの競争の中でコストダウンが先行し、市場の信頼を得てきたはずの「品質」が最近なおざりにされているような気がしてならない。自動車産業で最近多発しているリコール問題、ロケット打ち上げ延期などいずれも安全という品質を手抜きにした結果である。
さらに21世紀は品質に加えて、環境にも配慮しなければ、グローバル競争には勝つことはできない。今後の日本のモノづくりの現場に課せられている使命は、いかにコストダウンし、品質を高め、省エネに努めるかであり、それに加えユーザーの多様化に応えなければならない。
しかし、今の日本がまず注力すべきことは、中国という世界の工場と対等に戦うことではなく、徹底した品質向上である。「品質」という名の信頼を失っては日本がモノづくりの世界で生きる道は閉ざされてしまう。