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「文明社会の野蛮人」からの脱却

第1回産業論文コンクール 努力賞
共栄社化学(株) 片平 知里さん

現代の日本は科学技術力で自らを豊かにし,世界に貢献するようになった。そのために農地を潰して工場を建て,多くの人が工業に携わるようになった。しかし代わりに,食料供給は外国に依存することになってしまった。この現状に賛否はあるだろうが,今の日本は間違いなくそれを前提に動いている。科学技術力を背景にして乏しい資源を補い,1億数千万人の命と暮らしを守っている。日本が科学技術をやめてしまったらどうなるか。考えるまでもなく日本国民の多くは路頭に迷ってしまう。皆で畑を耕し,家畜を飼えばよいと考える人がいるかもしれないが,狭い日本で1億人を賄う農業生産は不可能であろう。不足分は外国から買えばよいと言う人もいるかも知れないが,買うお金はどうやって儲けるのか,科学技術する以外にその術は無いのである。止めてしまわずとも,怠けてしまえば,我が国の生産能力は確実に低下していく。しかもそれは仮定の話で終えられそうにもない。
多くの日本人は,日本の技術力は大したもので,少々怠けても揺るぐはずがないと思い込み,専ら科学技術の成果を享受することに奔走し,生み出す努力を怠っているように見える。その影響か,生産現場では若い有能な後継者が得られないという事態が起こりつつある。今まさに,我々は崖っぷちに立たされているのである。逆に開発途上国の技術力はどうかと言えば,うなぎ登りに上昇している。今や,我々は科学技術を止めるどころか,一歩たりとも後退させるわけにはいかないのである。
「文明社会の野蛮人」という言葉がある。これはスペインの哲学者オルテガが,文明が発達し生活が便利になればなるほど人々が無知・無批判になり,何も考えず行動するようになっていく姿を憂いて使用した言葉である。先にも述べたように,我々の身の回りは科学技術の産物で埋め尽くされている。このような環境に生まれ育った私たち若者は,野原の草花は知らなくても,テレビや冷蔵庫,クーラーは知っている。いや,知っているというよりも,そのような工業製品が自然に存在するものであるかのように無意識に使用している。あまりにも当たり前なので,それらを人間が努力に努力を重ねて作り出したものということを意識することはない。これが「現代社会の野蛮人」がつくられていくメカニズムであろう。皮肉なことに,科学技術が高度になった今,特に我が国で,それが加速されているように思う。
しかし少なくとも,社会に出てモノづくりに携わる人間は例外でなくてはならない。製品を手に取り,分解して,中に何があるのか,どんな原理で動いているのか調べてみようという好奇心や意識を常に持つ必要がある。そうすることは決して特別な行動ではなく,幼い子が身の回りの色々な物事に強い関心を示すのと同じように,ごく自然なことであり,これが科学技術の心なのだと思う。日本の科学技術を担う技術や研究に携わる人間は,皆がその活躍を期待され,その機会を与えられているのである。その私達が「文明社会の野蛮人」で一生過ごしたとしたら,それこそ日本の将来は真っ暗闇である。どうすれば「文明社会の野蛮人」から脱却できるのか,自らその答えを引き出してみた。
世の中には「料理の達人」,銀行にも人ではないが「外貨の達人」なんていう言葉が見られる。しかし「技術・研究の達人」というのは聞いたことがない。多分,技術や研究はそれほど深くて広いものだからであろう。
まず,「料理の達人」について述べたい。料理の達人にとっての必須条件は,まず何でも食べるという料理に対する好奇心である。料理の学校,本,先生など色々あるが,料理の達人に必要なものは様々なレストランの料理の味を経験していることである。1コース3万円の日本料理,1個30円のたこ焼きも80円のハンバーガーにもそれぞれに美味な点があることは,豊かな経験がなければ分からないことである。料理の値打ちは,本や値段,テレビや噂によって左右されるのではなく,それを食べる人の「料理感」が確立され,一人一人に評価される必要があるように思える。
技術や研究においても,自分の従事している仕事に関連することは勿論であるが,食わず嫌いではなく広く関心を持ちことが必須の条件である。自分の専門は当然であるが,基礎的な自然科学,新しい工業技術,政治,経済,芸術,体育などに対する興味と適切な対応がなければ,技術・研究の達人の境地に近づくことは難しいであろう。しかし,「技術・研究の達人」に近づくための要素はこれだけであろうか。自分の人生を幸せと思い,家族,友人,職場の人々とうまく関係ができ,心理的に良い状態でなければ,仕事が楽しいとは感じられない。それができる人こそ「技術・研究の達人」であると思う。確かに実行するのは難しいことであるが,私自身,少しでも目標に近付けられたらと,日頃から心掛けていることがある。
数年前,「♪明日があるさ~」というテレビCMが流行っていた。普段,忙しくて急かされている時に,あの曲をふと思い出すと,明日があるなんて思っていては駄目だ,今やらないと!と自分を奮い立たせることがある。しかし,おもいっきり失敗して今までの苦労が無駄になってしまい意気消沈している時に思い出すと,両親のことやお世話になっている人を思い出し,見失っていた自分を取り戻せる。少しオーバーであるが,時には自分のやってきた歴史を振り返ってみて,さらには先祖からの流れや今後の子孫のことまで,そして過去,現在,未来の自分が関係をもつ人々についてイメージし,自分の存在する意味のようなものを考えてみると,なんだかこんなことをしてはいられないような元気が湧いてくるような気がする。
締め括りとして,もう一度繰り返したい。近い将来,私達若者は先頭に立って日本の科学技術を引っ張ることになるであろう。奮起して仕事に励む人,ほどほどに取り組んでいる人,誰かがやるだろうと他人事の人。仕事に対する熱意は千差万別であろうが,一人一人が「文明社会の野蛮人」になることのないよう常に意識を持つことが,結果的に大きな原動力となり,科学技術の発展へと続く第一歩だと確信している。

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